倉山満『皇室論』。 明らかな事実誤認、支離滅裂、意味不明が多すぎる。 「えええ!? これはないでしょう」という珍説、 トンデモ論を展開している。 今回はその3回目。 皇室は「先例が掟」だと持論を展開する倉山。 そして「一度も例外なく遵守された先例」として 「皇位の男系継承」を挙げている。 いい加減、虚心坦懐に歴史を見つめよう。 元明天皇から元正天皇は女系での継承である。 だって女性の天皇から、女性の天皇に継承したんだから。 普通に考えたら、そこで終わりのはずだ。 いやいや、元明天皇の夫は草壁皇子だ。 草壁皇子のお父さんは天武天皇。 だから男系継承なのだ、と男系派は言う。 違う。 「皇位」をつないできたのは誰か? という話だ。 草壁皇子は天皇ではない。 「皇位」は女でつないだのだ。 常識ある頭脳なら、そこで「おや?」と思うはずだ。 今の男系固執派が言うほど、当時の人々は 男系継承にこだわっていないのではないか、と。 その通り、古代は双系社会。 男か女かという性別より、熟年で指導力があるかどうかの ほうがはるかに重要だった。 男系、父系を重視するのは大陸の影響が受けてからの話。 にもかかわらず、倉山は、歴代天皇の系図を披露しつつ 「多くの危機があったが、皇位の男系継承は守られた」などと、 それが当時の共通の約束事であったかのように書く。 歴史をねじ曲げているとしか言いようがない。 挙げ句、阿倍内親王(後の孝謙天皇)を皇太子としたのは 「聖武天皇の重大な先例違反」だとやり玉にあげている。 倉山は、いつから歴史を裁く立場になった!? (つづく)
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